完結とは?/ 学生ローン
[ 417] 産経新聞一面連載が完結、ぜんぶまとめてウェブで読めます。 - My Life Between Silicon Valley and Japan
[引用サイト] http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20080301/p1
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タイトル戦を見て、これはいい手、これは悪い手、あーだこうだと言うのは楽しいのですが、集中度、真剣度が違う対局者の読みに勝てないことはわかっているので、虚しさも感じます。「負ける」という恐怖がある対局時と、気楽な観戦時では考える手や、感じ方が全然違ってくるので、仮に実戦より優る手を見つけたところで、あまり意味を持ちません。(渡辺明ブログ3/28/08) 国際的なコミュニケーションで大事なのは、意味がある言葉を話せるかということである。この基礎は母国語のなかでどれだけ「意味の含有率」が高い言葉を構成できるか、という能力にかかっている。(日経3/25/08) 序盤から読み合って、その都度折り合って、シーソーの水平を保っていたが、ここで均衡が崩れてしまった。水面下の押し引きで、時間も気力も体力も少しずつ削られ、正直バテた。藤井さんを含め、上位棋士の真の強さはこういう部分にあると思う。(日経3/19/08) 昨日の将棋、試しにボナンザ先生にお伺いをしたら、僕が間違えた局面2つで、先生はピタリと正解手を示されました。昨年3月の凄腕コンピューターではなく、家庭用パソコンでの先生の読みに負けているようでは、楽観うんぬんという問題ではないかもしれません。(渡辺明ブログ3/22/08) 険しさ自体に変わりはないが、その中にドラマティックな場面が出てきたりする。そういう意味では楽しいという感じがする。将棋は5、6手進んだだけで、思ってもみなかった展開に変わったりする。その面白さはずっと変わらずある。(将棋世界2008年3月号) 以前、数学者という職業の人は周囲の人から「大変ですね」と言われてもピンとこない、何故なら当人にとってそれは遊んでいるにすぎないから、という話を聞いたことがあるんですよ。それって少し羽生さんに通じるものがあるなと思いました。羽生さんも考えること自体が楽しくて仕方ないのではないか、と。(将棋世界2008年3月号) 数学的に可能な局面をすべて並べて、片っ端から形勢判断をしてくれと言われたら、かなりの確率で答えられると思いますよ。(中略) でもそれをわかっているとは言わないでしょうから。全然わかっていない局面でどのくらいわかっているのかと問われたら、全然わかっていないのかもしれない。局面自体を把握できれば、正解も見つけられると思うんですけど・・・。羅針盤がきくかどうかというのは、ものすごく大きいんですよね (将棋世界2008年3月号) 先入観をもたない、ということです。(中略) 先入観をもたないで見るのは、なかなか難しいんですよ。先入観をもってみるほうが簡単だし、楽だし、しかも効率がいいんです。でも、先入観をもたないということは、一番大切なことだと思っています。(中略) それは逆に、年齢を重ねれば重ねるほど難しくなります。邪魔するものがいっぱい出てきますから (将棋世界2008年3月号) (羽生マジックについて) 私自身がどうこうということではなく、将棋は”最後までわからない”ということが大きいのではないかと思います。終わりに向かって可能性が小さくなるゲームでは逆転は少ないでしょうけど、将棋は、常に可能性は低くならない。その意味で、将棋には”最後までわからない”という要素がふんだんに含まれています。だから、私がやっているからということではなく、将棋はそういうゲームなんだ、ということだと思います。たとえば囲碁は、終わりに向かって可能性が低くなります。(将棋世界2008年3月号) 実は、将棋はねじり合いが基本なんですよ。局面が進んでいくと、だいたいねじり合いみたいなものになるんです。だから直線的な感覚で見るのではなくて、歪んだ空間を見るような感覚で見ると楽しいかな、と思います。平面で見る感覚で見ても、よくわからないかもしれません。これは歪んでいるんだ、歪んだものを見ているんだ、というくらいの感覚で見ると、ちょうどいいかもしれません。(将棋世界2008年3月号) 本当のスペシャリストから見ると、厳密には指しこなせていないかもしれないので、いろんな手をやっているだけだと思います。ただし”一回はやってみる”という姿勢は大事にしています。それで手ごたえがあれば続けるし、そうでなければやめる。(将棋世界2008年3月号) 「振り飛車は角道を止めるところから始まる」という「常識中の常識」「最初に覚える常識」すら、いまではかなり疑わしいといわざるをえない状況を迎えているのです。これは数学において、「公理」を疑うのに近いようなことかもしれません。違う公理からは、まったく違う数学が生まれます。(中略) 長年見慣れてきたのとはまったく違う将棋、別の将棋が始まっているのかもしれないのですから。(将棋世界2008年4月号) 「あとまわしにできる手はあとまわしにする」――これは矢倉で生まれ、他の線型にもひろがっていった重要な考え方でした。(中略) 実は振り飛車という戦法にとって、「角道を止める手こそあとまわしにすべき手だった」という可能性さえ否定できないのではないか! つまり相手が居尾車穴熊にしないとわかるまでは、角道を止める手を遅らせる、というわけです。(将棋世界2008年4月号) |
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